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2007.2月号 国民金融公庫調査月報“経営最前線1”

経営最前線1

大企業が頼りにする小さな開発型企業

 規模が小さいながら、大企業から産業用機械の開発依頼が絶えない企業がある。新潟県燕市の(株)エム・ワイ・エンジニアリングだ。同社は、高い開発能力をベースに、地元企業のネットワークを活用したり、従業員の能力を引き出したりすることで、顧客企業の製造現場が抱える悩みを次々と解決している。

バタフライバルブの改良で飛躍のきっかけをつかむ

 同社の創業者である吉田さんは、もともと地元・新潟県燕市の大手ポンプメーカーで、水処理タンクの設計、開発に携わっていた。1985年、勤務先の倒産をきっかけとして、当時の部下とともに起業。当初は、勤務時代に培った技術力を生かし、工場の排水をろ過する水処理タンクの開発を中心に手がけていた。
 飛躍のチャンスが訪れたのは、翌86年のことである。知人を介して、米国の大手バルブメーカーから、バタフライバルブに関するトラブルを解決してほしいとの相談をもちかけられたのだ。
 バタフライバルブは、パイプ内を流れる液体の量を調節するために用いられる。パイプの内径に合わせてつくられた円形の弁の角度を変え、流量を調節する仕組みだ。ただし、弁に強い圧力がかかるため、弁を支えるシャフトが折れてしまうケースが頻発し、ユーザーからの苦情が相次いでいた。
 吉田さんは、原因を突き止めようと、既存製品を丹念に調べた。そうしたところ、問題は、シャフトと弁の固定方法にあるとわかった。既存製品では、シャフトと弁をボルトで固定していた。そのボルトを通すためにシャフトに穴を開けた結果、耐久性が低下してしまったのである。
 そこで、吉田さんは、シャフトと弁を一体化すればよいのではと考えた。そして、高い強度で金属を接合できる、摩擦溶接という技術を用いて、シャフトと弁をつないだ。こうして耐久性の問題を見事に解決したのであった。
 このことが評判を呼び、同社の元には大手メーカーを中心に、さまざまな企業から多種多様な製品の開発依頼が舞い込むようになった。それに伴い、創業当初には4,000万円だった年商は、ピーク時には7億円に達したという。

既成概念にとらわれない発想で問題を解決

なぜ従業者数8人の企業に次々と開発依頼が寄せられるのか。その理由は、大きく三つある。
 第1は、問題解決能力が高いことである。同社は、他社がいくらやってもクリアできなかったさまざまな問題を、常識や既成概念にとらわれることなく、自由な発想をもって解決してきた。
 同社の代表作の一つである、ポテトチップス製造用のポテトスライサーを例にとってみよう。既存製品は、刃を上下に動かしてジャガイモをスライスしていた。だが、使っているとすぐに切れ味が悪くなるので、大手菓子メーカーは頭を悩ませていた。相談を受けた吉田さんは、原因の究明に取りかかり、刃を動かすと風を切るため刃先に付いたジャガイモのでんぷんが乾燥してこびりつき、切れ味を低下させていることを突き止めた。
 問題を解決するには、刃が風を切らないようにすればよい。吉田さんは発想を逆転させ、ジャガイモを動かせばよいのではと考えた。そして、1年間の試行錯誤の末、画期的な製品が完成したのである。具体的には、円筒を立てた形の容器の内壁に刃を固定し、底に回転テーブルを取り付ける。そのなかにジャガイモを投入し、テーブルを回転させるとジャガイモが遠心力で容器の内壁に押し付けられ、刃に当たってスライスされていくという仕組みだ。刃が風を切らないので、でんぷんのこびりつきがなくなり、加工スピードが既存製品の2倍に高まったという。
 第2は、地元企業とのネットワークをもっていることである。燕・三条地域は、わが国有数の金属加工業の集積地。同社は、そこに立地する40社と協力関係を築いている。長年の付き合いから、それぞれの企菜の得意分野、技術力を詳細に把握しており、開発内容に合わせて必要な技術をもつ企業を組み合わせるのだ。ポテトスライサーも、切削、溶接、研磨など、6社の協力を得てつくり上げたものである。こうしたネットワークを生かすことで、同社は、多種多様な依頼に的確に応えることができる。

会社は従業員のもの

 第3は、従業員の能力が高いことだ。同社のような開発型企業にとって生命線となるのは、開発を支える人材である。そこで、吉田さんは、従業員の能力を引き出すため、二つの策を講じている。
 一つは、一人担当制の導入である。これは、従業員に各自10〜20社の得意先を担当させ、企画から開発、外注先の選定、納品、アフターフォローまでを任せる仕組みだ。従業員に権限を委譲することで意欲を高め、能力を引き出しているのである。
 その一方で、開発に関するアイデアや悩み、顧客の要望やクレームなどを、ミーティングや新製品の検討会で報告させてもいる。一人担当制では、担当外の情報には無関心になりがちである。そこで、互いの情報を共有させることで、組織としての開発力の底上げを図っている。
 もう一つは、従業員への株式譲渡だ。吉田さんは「会社は従業員のもの」という理念のもと、所有する株式を毎年一定の割合ずつ、従業員に譲渡してきた。今では、吉田さんの持ち分は全体の3割程度にすぎず、従業員が7割を所有するまでになっている。さらに、創業以来毎期、税引後の利益の3分の1を開発費の一部、3分の1を内部留保、そして残りの3分の1を配当に充ててきた。業績が上がれば上がるほど、従業員に還元される仕組みとしたのである。これにより、従業員は経営参画意識を高め、能力をよりいっそうう発揮するようになったという。
 「わたしの役目は、会社の基盤づくり。これからは、従業員の歩みを見守っていきたい」と語る吉田さん。98年、70歳になったのを機に一線から退いたが、その技術者魂は確実に次の世代へと受け継がれている。

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