2007年11月号 NICO Press “わが社の○○”
社員の成長を促す「仕事を任せる」体制
株式会社エム・ワイ・エンジニアリングは、水処理用ろ過タンクの設計・開発からスタートし、今では食品業界、半導体関連など、さまざまな業種からの開発依頼が集まってくる。取引先の8割が大手メーカーであり、その多くが口コミで増えた顧客であることからも、同社の開発力が高く評価されていることが分かる。
社員は7名。顧客ごとに担当者を決め、その上で開発内容によって、各人の得意分野を考慮しながらメンバーを決定。全員でアイデアを練ることもあるほか、時には工業技術総合研究所や、長岡技術科学大学など、専門家のアドバイスを受けることもある。また、常に利益の3分の1を開発費に充てているのも、よりよい開発環境作りにつながっているようだ。
創業者である吉田相談役が社訓に掲げ、社員に話していることは、「自分でトライしなさい。失敗しても、その分、自分を大きくしていきなさい」ということ。「初めて作るのですから、当然失敗も多い。しかし、それはノウハウの蓄積になり、必ず次に役立ちます。自分を成長させるために、自分で挑戦してほしい。それもあって、担当者には仕入れなど全ての権限を任せています」と吉田相談役は語る。
創業時から協力工場との信頼関係を重視
開発する時には、正面からだけでなく、裏からも見る「逆の発想が大切だ」ということも、折に触れて伝えている。かつて、ポテトチップス用のスライサーを開発した時、課題は、カッターの刃が風を切って回るうちに、イモのデンプンが乾き、切れ味が悪くなること。そこで、カッターではなく、イモを動かせばいいのでは、という逆の発想が、成功を生んだ経緯がある。このアドバイスによって、社員のものの見方にも変化が出ているという。
また、20数社に及ぶ協力工場の存在も大きい。同社では、開発・設計の他は、組み立てと最終検査が自社の仕事で、部品製造は周辺の協力工場に依頼する形をとってきた。社員には、「外注とは呼ばない、よほどのことがない限り工場を変えない、無理な値下げ交渉はしない、自社には設備を入れない」といった点を言い聞かせている。「同じ仕事をやっていく仲間である、という意識でなければ、強い信頼感は生まれません。多少の困難にも、一緒に取り組んでくれる協力工場の存在はとても大切」と吉田相談役は力を込める。
任せることによって社員を育てる社風と、協力工場のバックアップ体制。それらが、同社の開発力を大きく成長させ、信頼を獲得する結果を残し続けてきた要因と言えそうだ。
2007年11月号 商工にっぽん “特集 とことん権限委譲”
努力と評価を直結させる“一人担当制”
金属・ステンレス加工なら何でもこなすという『エム・ワイ・エンジニアリング』。この小さな会社に大手企業からの開発依頼が後を絶たない。特徴は、企画開発から納品・アフターまで、すべて一人が担当する仕組み。この制度には、吉田相談役の創業からの思いが詰め込まれている。
新製品のアイデアは自発性から生まれる
今回、テーマの権限委譲 ――― 。
この話題を切り出すと、『エム・ワイ・エンジニアリング」代表取締役(相談役)の吉田實氏は一笑した。
「そんなに大仰な話ではありません。社員が自分の担当企業をもって、その担当するお客さんに対する事業計画を立て、売上目標も設ける。それぞれが努力して達成していく。その達成のために必要な判断は、本人が行う。それだけのことです」担当ごとの裁量権は、担当者本人に与えるべき。吉田氏自身の判断をそこにさしはさむ必要性は「ない」と言い切るのだ。
エム・ワイ・エンジニアリングは水処理装置・タンクなどの開発を筆頭に、金属・ステンレス加工による製品開発を行う。1985年の創業来、一貫して製造設備をもたないファブレス企業。燕市という金属加工業の集積地をバックにした展開だ。
製造委託先は地元企業だが、顧客はすべて県外で、多くが一部上場企業。役員を含めても7人の会社に、半導体製造や食品関連など、大手からの開発依頼が後を絶たないという。
自らを“ものづくりが好きな鍛冶屋”と称する吉田氏。「金属・ステンレス加工品なら何でもこなす」とする探究心が多くの開発品を生んでいる。たとえば10年ほど前に開発したジャガイモのスライス機。「刃先にでんぷんが付着し、だんだんと切れなくなってくる。なんとかできないか」という依頼に応え、生まれた。
ひらめいたのは、遠心力を利用して、刃ではなくジャガイモのほうを動かすこと。円筒の容器の内側に数枚の刃を埋め込み、そこにジャガイモを入れる。容器を回転させると、遠心力が働いてジャガイモが容器の内側に当たる。つまりそこに取り付けられた刃に当たり、スライスされていくというものだ。
「ものごとの原理は単純。そこに立ち返って眺めてみればよいのです」
顧客ごとの事業計画をたてる一人担当制
「最低でも、月1件は舞い込む」という開発依頼や、既存取引先との新規開発など、開発企業としての業務は多岐にわたる。
しかし、これを冒頭のとおり「社員一人ひとりの担当制」で進めている。
担当を決め、その顧客ごとに社員が「事業計画」を立てる。その計画実現のために、製造を依頼する協力会社も、担当者が決定、発注を行う。
さらに、必要な資材や物品があれば自分の判断でそれを購入することもできる。
「固定資産になるようなもの」を除けば、必要なものを購入する際の発注権限も任されている。経理担当の社員も購入の判断や発注にはノータッチで、支払依頼の伝票が回ってくるだけというから、驚くほかない。
「もちろん迷ったときには相談にきますし、朝礼などでの報告も欠かさず行います。ただ、判断は自分でする。その担当企業、事業のことをいちばんよく理解しているのは、本人ですから」
一人担当制でもミーティングを開いたり報告を怠らせないのは、無関心になりがちな担当外の情報を共有し、組織としての開発力を上げるところにある。
社員に「参画意識をもたせる」ことは重要だが、ここでは一歩進んで実際に経営に携わっているといってよいだろう。担当企業ごとの限界利益率(粗利益率)を把握し、いかに売上を上げ、利益を上げるか、考えて行動する。決算は月次で行い、随時、公表されるから、期中での計画変更も、本人の裁量で随時行う。
もっとも、単純に業績を上げさえすればよいというわけではない。そもそも、同社では協力会社を「下請け」と呼ぶことを絶対に許さない。
「製造を担う、協力会社があるからこそ、開発型の現在の形が成り立つ。共存共栄なくしては、継続も発展もないからです」
協力会社に対する買い叩きを厳に戒めると同時に、開発業務の極端な廉価受注もしない。継続性が保たれないからだ。
全員が株主だから利益を分配するのは当然
一人担当制は重責だけを課しているわけではない。社員側にも相応の見返りがなければそれは責任の転嫁であって、権限の委譲とは言いがたい。
同社では役員だけでなく社員全員が株主。生み出した利益は全員が享受する仕組みがある。
大手では社員持株会の組織は珍しい話ではない。しかし、同社は7人で切り盛りするマイクロカンパニーだ。
「本当の意味の株式会社にするためには当然のこと。みなが株をもつ。生み出した利益を還元するのに、もっとも合理的な方法でしょう」
1株利益の30%を配当に充てることを明文化。設立3年目以降、この約束は守られている。
社員は、先の目標に対する達成度、会社への利益貢献度、持ち株比率に従って算出された、配当を決算賞与として受け取る。文字通り、頑張れば頑張っただけ評価され、その評価が金銭的にフィードバックされる。
数年前、新たな社員が入社した際には、最初のボーナスに株式購入費用を加えて支給した。社員はこの費用分相当の株式を譲り受けるわけだが、これには吉田氏の持分を充てたという。
「会社は自分のもの」という意識は、吉田氏にはまったくない。これには、この会社の設立経緯が深くかかわる。
起業のキッカケは、長く勤めた会社の倒産だった。当時、吉田氏は58歳で、およそ事業を興す気持ちはなかったという。しかし「吉田さんの下でまた働きたい」と4人の部下が集まったのだ。背中を押され、全員が20万円ずつ出資し、エム・ワイ・エンジニアリングが誕生した。倒産の原因が社長の公私混同のワンマン経営にあったことから、「開かれた会社をつくろう」との思いが強かった。そして、実現したらバトンを渡そう。最初からそう考えていた。
85年、株式会社化した際の米国人の友人の箴言も常に頭にあったという。
「社長とは会社の舵取りをするだけの存在。配当が15%を切るようになったら失格だよ」
吉田氏の権限委譲は、こうした経営観に裏打ちされた、当然の選択なのだ。
2007年2月号 国民金融公庫調査月報 “経営最前線1”
大企業が頼りにする小さな開発型企業
規模が小さいながら、大企業から産業用機械の開発依頼が絶えない企業がある。新潟県燕市の(株)エム・ワイ・エンジニアリングだ。同社は、高い開発能力をベースに、地元企業のネットワークを活用したり、従業員の能力を引き出したりすることで、顧客企業の製造現場が抱える悩みを次々と解決している。
バタフライバルブの改良で飛躍のきっかけをつかむ
同社の創業者である吉田さんは、もともと地元・新潟県燕市の大手ポンプメーカーで、水処理タンクの設計、開発に携わっていた。1985年、勤務先の倒産をきっかけとして、当時の部下とともに起業。当初は、勤務時代に培った技術力を生かし、工場の排水をろ過する水処理タンクの開発を中心に手がけていた。
飛躍のチャンスが訪れたのは、翌86年のことである。知人を介して、米国の大手バルブメーカーから、バタフライバルブに関するトラブルを解決してほしいとの相談をもちかけられたのだ。
バタフライバルブは、パイプ内を流れる液体の量を調節するために用いられる。パイプの内径に合わせてつくられた円形の弁の角度を変え、流量を調節する仕組みだ。ただし、弁に強い圧力がかかるため、弁を支えるシャフトが折れてしまうケースが頻発し、ユーザーからの苦情が相次いでいた。
吉田さんは、原因を突き止めようと、既存製品を丹念に調べた。そうしたところ、問題は、シャフトと弁の固定方法にあるとわかった。既存製品では、シャフトと弁をボルトで固定していた。そのボルトを通すためにシャフトに穴を開けた結果、耐久性が低下してしまったのである。
そこで、吉田さんは、シャフトと弁を一体化すればよいのではと考えた。そして、高い強度で金属を接合できる、摩擦溶接という技術を用いて、シャフトと弁をつないだ。こうして耐久性の問題を見事に解決したのであった。
このことが評判を呼び、同社の元には大手メーカーを中心に、さまざまな企業から多種多様な製品の開発依頼が舞い込むようになった。それに伴い、創業当初には4,000万円だった年商は、ピーク時には7億円に達したという。
既成概念にとらわれない発想で問題を解決
なぜ従業者数8人の企業に次々と開発依頼が寄せられるのか。その理由は、大きく三つある。
第1は、問題解決能力が高いことである。同社は、他社がいくらやってもクリアできなかったさまざまな問題を、常識や既成概念にとらわれることなく、自由な発想をもって解決してきた。
同社の代表作の一つである、ポテトチップス製造用のポテトスライサーを例にとってみよう。既存製品は、刃を上下に動かしてジャガイモをスライスしていた。だが、使っているとすぐに切れ味が悪くなるので、大手菓子メーカーは頭を悩ませていた。相談を受けた吉田さんは、原因の究明に取りかかり、刃を動かすと風を切るため刃先に付いたジャガイモのでんぷんが乾燥してこびりつき、切れ味を低下させていることを突き止めた。
問題を解決するには、刃が風を切らないようにすればよい。吉田さんは発想を逆転させ、ジャガイモを動かせばよいのではと考えた。そして、1年間の試行錯誤の末、画期的な製品が完成したのである。具体的には、円筒を立てた形の容器の内壁に刃を固定し、底に回転テーブルを取り付ける。そのなかにジャガイモを投入し、テーブルを回転させるとジャガイモが遠心力で容器の内壁に押し付けられ、刃に当たってスライスされていくという仕組みだ。刃が風を切らないので、でんぷんのこびりつきがなくなり、加工スピードが既存製品の2倍に高まったという。
第2は、地元企業とのネットワークをもっていることである。燕・三条地域は、わが国有数の金属加工業の集積地。同社は、そこに立地する40社と協力関係を築いている。長年の付き合いから、それぞれの企菜の得意分野、技術力を詳細に把握しており、開発内容に合わせて必要な技術をもつ企業を組み合わせるのだ。ポテトスライサーも、切削、溶接、研磨など、6社の協力を得てつくり上げたものである。こうしたネットワークを生かすことで、同社は、多種多様な依頼に的確に応えることができる。
会社は従業員のもの
第3は、従業員の能力が高いことだ。同社のような開発型企業にとって生命線となるのは、開発を支える人材である。そこで、吉田さんは、従業員の能力を引き出すため、二つの策を講じている。
一つは、一人担当制の導入である。これは、従業員に各自10~20社の得意先を担当させ、企画から開発、外注先の選定、納品、アフターフォローまでを任せる仕組みだ。従業員に権限を委譲することで意欲を高め、能力を引き出しているのである。
その一方で、開発に関するアイデアや悩み、顧客の要望やクレームなどを、ミーティングや新製品の検討会で報告させてもいる。一人担当制では、担当外の情報には無関心になりがちである。そこで、互いの情報を共有させることで、組織としての開発力の底上げを図っている。
もう一つは、従業員への株式譲渡だ。吉田さんは「会社は従業員のもの」という理念のもと、所有する株式を毎年一定の割合ずつ、従業員に譲渡してきた。今では、吉田さんの持ち分は全体の3割程度にすぎず、従業員が7割を所有するまでになっている。さらに、創業以来毎期、税引後の利益の3分の1を開発費の一部、3分の1を内部留保、そして残りの3分の1を配当に充ててきた。業績が上がれば上がるほど、従業員に還元される仕組みとしたのである。これにより、従業員は経営参画意識を高め、能力をよりいっそうう発揮するようになったという。
「わたしの役目は、会社の基盤づくり。これからは、従業員の歩みを見守っていきたい」と語る吉田さん。98年、70歳になったのを機に一線から退いたが、その技術者魂は確実に次の世代へと受け継がれている。
2006年9月号 財界にいがた “新潟「き」業人”
全員参加型経営を実践
「会社とは経営者のものではなく、株主のもの」
こう語るのは、水処理用タンク、エア・キャリー(ガソリンスタンドが使う空気充填装置)、半導体製造装置輸送用の振動吸収パレットなどの開発、販売を行うエム・ワイ・エンジニアリングの創業者で同社相談役兼社長の吉田實氏。
この言葉どおり、吉田氏は自らの保有株を勤続年数3年以上の従素員に順次譲渡してきた。その結果、吉田氏の保有比率(資本金1000万円)は28%に過ぎず、残りは従業員が保有する。今では、従業員8人全員が株主である。
それだけではない。1985年の創業以来、利益を出し続けており、従業員は“所有者”として毎年配当を受け取っている。
同社では利益から3分の1ずつ開発資金、内部留保、配当に充当。前期(平成17年9月期)は売上高3倍7000万円、当期利益は1000万円強で、配当総額は350万円だった。単純計算すると一人当たりの配当額は数十万円、利回り35%となる。これを給与や賞与とは別に受け取っているのだ。
さらに内部留保金も毎年増え、前期で1億3000万円を超えた。譲渡制限があるにせよ、従業員の保有株式の時価は年々高まっている計算になる。
竈の灰まで俺のもの―― 。こう豪語する創業社長は少なからずいる。そんな中、吉田氏が「会社は個人のものではない」と考えるようになったのは、自身の体験によるところが大きい。
吉田氏は三条商工学校を卒業後、海軍の予科練に志願し、1943年に甲種飛行予科練に練習生として入隊した。「数日後に特攻隊員として出撃することになっていた」という中、九州国分の特攻基地で終戦を迎えた。終戦後、地元・三条市に戻ってきた吉田氏は、それまでの価値観を否定され、人生の目標や生きる意欲を失った。「世の中が嫌になって不良仲間とつるんで頻繁に喧嘩をしていました」
そんな生活が1年ほど続いたある日、吉田氏の姿を見かねた父親が知り合いの企業に吉田氏の就職を頼み、そこに就職した。「住み込みで5、6年ほど働いたのですが、今思うと、我慢を覚えることができ、いい経験になった」
その後、大手ポンプメーカーに転職し、海外市場の開拓などを担当した。だが倒産。このため、部下4人とエム・ワイ・エンジニアリングを創業した。創業後は、自社開発した特殊バルブを売り込もうと国内外を飛び歩いた。ほどなくして米国の大手バルブメーカー、キーストンが採用を決定。以降、同社のバルブは世界各国で使われるようになっていったという。「戦争の体験や株主を重視する米国の経営手法に接したことは、私の価値観に大きな影響を与えた。人も経営者も、みんなに支えられて生きているのです」
2004年11月号 ベンチャー・リンク “創意の鉄人”(連載4回目)
展示会で見たヒンジをヒントに脱ボルト式の超密閉タンクを開発
「時間がある限り、新しい開発のネタを求めて展示会などに足を運ぶようにしています」
こう語るのは、「エム・ワイ・エンジニアリング」を率いる吉田實相談役(代表取締役)。3年前に開発した半導体検査装置用の密閉タンクも、セミナーで偶然見かけたヒンジを参考にした。
タンクだけではない。これまでに「ドライ漬物製造器」など数々のユニーク商品を開発している。
こうした開発実績が評価され、いまでは大手企業からの開発依頼が後を絶たない。
水処理装置・タンクなどの開発を筆頭に、金属・ステンレス加工品なら何でもこなすファブレス企業「エム・ワイ・エンジニアリング」相談役、吉田實氏のもとには、妙案が浮かばず、困り果てた大手企業の技術担当者からの開発依頼が後を絶たない。「食品や半導体などいろいろなところから最低月1件は依頼が舞い込みますね」と吉田氏は笑顔で話す。
では一体、従業員8名ほどの同社のどこが凄いのかというと、吉田氏のアイデアが凄いのだ。その吉田氏に開発の秘策を尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「物事は単純な発想で眺めてみるといいんですよ」。たとえば1990年代に県の食品研究センターと共同開発した業務用自動漬け物製造装置の発想は単純そのものだという。「漬け物は何日か押しをして水分を抜いていますよね。でも水分を抜いているだけ。ならば、機械的にやればいいじゃないかと、たんに思っただけなんですよ」
同社では、それまで密閉のタンクなどを手がけていた。それを使って、真空状態をつくり出し、一気に水分を引く装置を考えたのだ。そして容量1リットルほどの机上実験機をつくり、データを収集、装置を開発した。「容器のなかで調味科を加えるのですが、真空状態だと、染み込みが速いんです。だから調味科のロスが少なくて済むんですね」
また10年ほど前に開発した、ジャガ芋スライス機も、単純な発想で開発した。「『刃先にでんぷんが付着し、それが乾いてだんだんジャガ芋が切れなくなってくる。なんとかならないか』と依頼があったのです。で、なぜでんぷんが付着するかというと、刃先が上下に運動し、空気に触れ、でんぷんが乾いてしまうから。ならば空気に触れる時間を少なくすればよいと思ったのです」
閃いたアイデアは遠心力を利用すること。円筒の容器の側面(内側)に刃先数枚を埋め込み、そのなかにジャガ芋を入れる。そして容器を回転させ、遠心力で側面に当たったジャガ芋は、そこに取りつけられた刃にあたりスライスされていくというものだ。
ただし、吉田氏、ただ、たんに単純なわけではない。人一倍、探求心とトライアンドエラーの精神をもっているのだ。たとえば探究心。みずからを「ものづくりが好きな鍛冶屋」と称する吉田氏は、暇さえあれば、開発のネタ探しのため、セミナーや展示会、大学数授の研究室に足を運んでいる。「3年ほど前に、展示会に行ってヒンジを見ました。それを半導体製造装置の大型レンズを密閉するタンクに応用し、採用されたことがあるのです。それまで密閉タンクはボルトで締めていたんですが、ヒンジに切り替えたことで、作業が簡単になったんですよ」
もうひとつのトライアンドエラー。同社では85年の創業以来、黒字経営を続けているが、利益の3分の1を内部留保、3分の1を“従業員たちで山分け”するとともに、残りの3分の1を開発費に振り分けているのだ。
開発したもののうち約5割が製品化されているという。代表的なのが、十数年前に開発したバルブ弁。海外にも輸出される主力製品に育っている。
ただ、5割の成功ということは、裏を返せば半分は製品化に至らなかったということ。たとえば4~5年前に金属加工で使う洗浄装置を開発したが、商品化に至らなかった。「中性洗剤を使った装置をつくったのですが、製造コストが高くなり過ぎたため、商品化には至りませんでした。800万円の開発費が飛んでしまいました(笑)」
しかしである。その失敗からも何かを獲得しているのだ。たとえば洗浄装置。「その装置には洗浄後、乾燥の工程があったのですが、その乾燥の技術をタンクの耐圧試験機に応用したのです」。耐圧試験とは、水中にタンクを入れて、水漏れを確認する作栗だ。それまでは試験後、濡れたタンクを手で拭いて乾燥させていたのだが、それを乾燥技術を使って自動的に乾かすようにしたのだ。「直接的な売り上げ増にはなっていませんが、作業の手間を随分省くことがでさるようになりました」
さらに、このトライ・アンド・エラーの精神は8人いる従業員全員に伝播している。なぜ全員が開発に積極的になれるのかというと、それは、「従業員全員が株主である」からだ。新入社員が入社してきた場合、ボーナス時、通常のボーナスに株式購入資金を上乗せして支払い、これを原資に吉田氏の持ち株を譲渡しているのだ。もちろん売上高、利益、投資計画など経営情報はガラス張りにしている。これで従業員が経営意識をもつようになっているのだ。じっさい、従業員は、ひとりあたり10社ほど得意先を担当し、土日返上で、受注から図面起こし、協力会社の手配まで精力的にこなしている。
さきほど書いたトライアンドエラーで挑戦している開発案件も、その多くは従業員が事業計画を作成し、提案している。「(採否を経営会議で決めたうえで、)毎年何件かにトライをしています。いまは光ファイバー関連の周辺機器の開発を進めています」